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よくある質問①

 よくある質問!?


埼玉県立さきたま史跡の博物館とはどのような施設ですか?

国指定史跡埼玉古墳群のなかにある博物館です。博物館では稲荷山古墳をはじめ史跡内の古墳を調査し、昔の姿に復原しながら公園として整備しています。また、古墳から出土した資料を展示したり、考古学に関する企画展を行ったり、各種講座や体験学習の場を提供しています。


博物館の見所は、何ですか?

一番は、「武蔵埼玉稲荷山古墳出土品」の金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)です。また、最初に刻まれている年号から、辛亥銘鉄剣(しんがめいてっけん)とも言います。ところで、鉄剣の重さは何グラムだと思いますか?

答えは、588.9グラムです。


さきたま古墳公園の広さは、どのくらいあるのですか?

およそ37万㎡あります。東京ドーム(約4.7万㎡)、8個分です。


古墳の所の説明板に古墳内の調査が行われていないと書いてあったが、それはどうしてですか?

古墳内とは、王が埋葬されている主体部のことを言います。埼玉古墳群では稲荷山古墳と将軍山古墳をのぞいて、主体部の調査を行っていません。これは文化庁の方針で、特に貴重な古墳のさらに中心部である主体部は、将来もそのまま保存することがのぞましいとされているからです。


古墳には登れますか?

稲荷山古墳(高さ:約11m)、丸墓山古墳(高さ:約19m)は、登ることができます。他の古墳は登れません。


どうして古墳は、カギ穴のような形をしているのですか?

カギ穴のような形をした古墳を前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)といいますが、なぜこのような形をしているのかはわかっていません。弥生時代の丸い墓が、だんだん変化してできたととする説もあります。形そのものは、土器や盾(たて)をまねたとする説が江戸時代からありましたが、本当のところはわかりません。


古墳の大きさが違うのはどうしてですか?

古墳の大きさは、一般的には葬(ほうむ)られている人の権力の強さを示しているといわれます。古墳を造るには多くの人手や日数が必要です。人々を集めて長期間働かせる権力が必要と考えられるからです。ただし古墳は、築造時期や形の違いがあるので、一概にはいえません。


古墳を造るのに、どの位時間がかかるのでしょうか?

どのように計算するかによってちがってきますから、確かなことは分かりません。仮に古墳の長さが100メートルで、働いた人が1000人くらいだとすると5年はかかることになります。稲荷山古墳くらいの大きさだと土を盛り上げるのに2~3年、約6000個の埴輪を作るのに2~4年、副葬品をそろえるのに1~2年。これを同時に行ったとしても5年はかかると考えられます。


どうしてこの場所に、このような大きな古墳があるのですか?ここに古墳があることを、土地の人々は伝えてきていたのですか?

埼玉古墳群の周囲は昭和12年ころ、1m以上も表土が土取りされ、平坦な地形になりました。それ以前は地面の起伏のある山林や畑地であったといわれています。行田に大型古墳が多い理由はよくわかりませんが、農地の開発が進んで人口が増加する5世紀後半以降に古墳も増加することだけはわかっています。
この土地の人々は、埼玉古墳群が古代の墓であることは知っていて、昔から語り継がれてきたようです。江戸時代の文献の記録があります。


前方後円墳の前方と後円では、どちらが高いのですか?

前方後円墳の形は、造られた時期によって異なっています。はじめのころは、後円部の方が高くなっていましたが、古墳時代後期になると、前方部の方が高いものが多くなりました。
埼玉古墳群は、ほとんどが古墳時代後期の前方後円墳です。鉄砲山古墳の後円部が9メートル、前方部が約10メートルであり、二子山古墳、奥の山古墳、中の山古墳も前方部が高くなっています。

(稲荷山古墳や将軍山古墳は一部復原しました。)

※前方後円墳といった場合、「方」は四角形という意味です。方向を示す「方」ではありません。


古墳はいつ頃から造られたのですか?

日本で一番古い古墳は、3世紀中頃に造られたと言われています。埼玉古墳群の中で一番古いのは稲荷山古墳で、5世紀後半頃に作られたと考えられています。


埼玉古墳群の古墳はだれのお墓なのですか?

この近くに住んでいた豪族で、周辺(現在の埼玉、東京、神奈川の一部)に影響力を持っていた人であると考えられています。
稲荷山古墳(いなりやまこふん)から出土した金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)に「ヲワケ」という名前がありますが、この人の墓だとする説があります。


古墳の「造出(つくりだ)し」は何のために造られたのですか?

どの古墳にも「造出し」があるわけではないのですが、「造出し」の上や、まわりからたくさんの土器や埴輪(はにわ)が見つかることが多いので、お祭り(儀式:ぎしき)を行った場所だと考えられています。


古墳のまわりにはどうして堀があるのですか?

古墳を造るには土が必要で、その土取りの跡が堀です。また、人が勝手に入ってはいけないことを示す、バリケードの意味もあります。水のある前方後円墳も後に湧き水や農業用水などが浸入したためで、本来は空堀(水のない堀)です。堀のない古墳(森将軍塚古墳:長野県千曲市)もあります。


稲荷山古墳や丸墓山古墳・二子山古墳の中はどうなっているんですか?

3つの古墳のうち、稲荷山古墳は、人を埋葬(まいそう)した穴が2つ見つかっています。舟底型(ふなぞこがた)に掘った穴に丸い石をはりつけた「礫(れき)かく」、穴の中に粘土(ねんど)をはりつけた「粘土かく」です。どちらも死者を木の棺(ひつぎ)に入れて埋葬したようです。丸墓山古墳・二子山古墳は、中の調査はおこなわれていません。


古墳から人の骨やミイラは見つかったのですか?

埼玉古墳群では古墳時代の人の骨は見つかっていません。棺(亡くなった人をいれた箱)が木でできていたので、くさりやすかったためと考えられます。日本では死体をミイラにすることはなかったので古墳から発見されることはありません。


稲荷山古墳の金錯銘鉄剣は武具ですか?それとも、装身具ですか?

鉄剣は「武器」に入ります。「武具」は甲(よろい)や盾のように、身を守る道具のことです。稲荷山古墳の「武具」としては、挂甲(けいこう)という細い鉄板を革ひもでつないだ甲があり、国宝展示室には本物が展示してあります。体験工房には復元したレプリカを置いています。


古墳には、重たい飾りなども一緒(いっしょ)に埋められていますが、どうしてですか?

死者と一緒に埋められたものを、副葬品(ふくそうひん)といいます。刀(かたな)や甲(よろい)や馬具(ばぐ)などを「重たい飾り」と思われたのでしょうね。これらは死者が生きている時に使った物であったり死者にささげられた物であったりしたと考えられています。このように身近に使用していたもの一緒に埋葬(まいそう)したのです。
副葬品は、葬られている人の身分や役割、古墳の造られた年代を知る手がかりとなります。


鉄剣の文字はだれが読んだのですか?

最初に読み方・意味について考え方を示したのは、岸俊男(京都大学教授当時)、田中稔・狩野久(奈良国立文化財研究所員当時)3人の先生方です。この考え方をもとにした読み方を埼玉県教育委員会が公表しました。読み解く、という意味なら、古代史の研究をしている多くの学者がいろいろな読み方を発表しています。


埼玉古墳郡と吉見百穴には関連性がありますか?

直接の関連はありませんが、吉見百穴からは、埼玉古墳群の後半の時期、6世紀後半頃の遺物も見つかっています。吉見百穴は古墳時代から奈良時代にかけて作られる「横穴墓」という、山や丘陵の斜面に横穴を開け、中を広く掘ったお墓です。古墳と同じように石や木でできた棺(亡くなった人を納める箱)を置きます。


「埴輪(はにわ)」という名前はどうしてわかったのですか?

720年に成立した『日本書紀』という古い本に、お墓のまわりに立てた人や馬などの形をしたものを「是の土物(はに)を号けて埴輪と謂う」と書かれていたことから、「はにわ」の名がついています。


筒状の埴輪はどういったものなのですか?

筒状の埴輪を「円筒埴輪(えんとうはにわ)」といいます。もともとは、亡くなった人に供えるための土器の壺と台から変化したものです。「円筒埴輪」のほとんどは古墳の墳丘(土が盛られた部分)や堤に並べられていました。古墳を神聖な場所として外の世界から区別して、古墳を守る役割をもっていたようです。


埴輪は何種類ありますか?

円筒埴輪と形象埴輪(けいしょうはにわ)の2種類です。形象埴輪は人物(武人(ぶじん)、巫女(みこ)など)・動物(馬、水鳥など)・器財(きざい)(大刀(たち)、船など)・家形(いえがた)埴輪の4種類に分けられます。


踊っているような、変わった形をした埴輪がありますが、これはどのようなものですか?

この形の埴輪は、踊っているわけではなく、馬のたづなをひく、人のしぐさをあらわしていると考えられています。


どうして埴輪には、いろいろな顔があるのですか?

人の形をした埴輪を「人物埴輪」と呼んでいます。「人物埴輪」は、古墳に埋葬された人とゆかりのある、さまざまな人の顔を表現したものと思われます。「人物埴輪」は、性別・服装・身分などが分かるため、当時の生活を知る上で貴重な資料です。「人物埴輪」を見て、その人が何をしているのか想像するのも楽しいですね。

大きな埴輪は、作るのにどれくらい時間がかかるのでしょうか?

埼玉古墳群で最大の埴輪は、稲荷山古墳から出土した高さ120cm、直径70cmの埴輪です。形を作るのに3日、乾燥させるのに1~2か月、焼くのに1日、冷却に1~2日と考えるとおよそ3か月はかかることになります。1つの窯で20~30個の埴輪を同時に焼くことができます。


埴輪の材料は何ですか?

埴輪の材料は、粘土(ねんど)です。漢字で「埴」(はに)は、粘土を意味します。「輪」は、粘土をひも状にして輪の形にして積上げるからとか、古墳に輪のように囲んで並べるからとかいわれています。
将軍山古墳は、埴輪の配列を模造品で復原しました。


埴輪は、古墳からどのくらい出土しましたか?

稲荷山古墳では埴輪の大きさと置かれた場所の面積からして、6千~1万個くらい並べられていたと考えられます。ただし埴輪は、倒れてバラバラに壊れた状態で土に埋まっているため、破片を全部数えると何万個にもなってしまいます。


埴輪には、なぜ穴が開いているのですか?

穴は「透かし孔(すかしあな)」と呼ばれるものです。はじめは、丸い穴だけでなく四角や三角、半円形の穴が開けられ、飾りの意味があったようです。円筒埴輪のおおもとになった、弥生時代の終わりごろの特殊器台型土器には、横方向に線で刻んだ模様が付けられていて、その模様のところどころに三角形・四角形・ともえ形の穴が開いていました。これが長い時間をかけて丸い透かし孔に変わっていったのです。


埴輪は何のために作られたのですか?

古墳の周りに並べた円筒埴輪は、古墳を守るためと考えられています。また、造出しに並べた人物などの形象埴輪は、儀式のためと考えられています。円筒埴輪の出現の方が古いために、王さまの死に際して家来が一緒に殺される代わりに、埴輪をつくって並べたという『日本書紀』に書かれている話は、古代人の考えた「埴輪のはじまり」を説明した言い伝えで、考古学の研究成果では誤りと考えられています。